令和になって振り返る昭和の女性蔑視 多くの人が「女の腐ったの」と口にしていた時代|中川淳一郎

昭和を振り返る当連載だが、ちょっとちょっと! 令和に入り、昭和って2代前の時代になっちまったじゃねーかよ! しかし、とりあえずはしぶとく昭和を振り返る(平成振り返った方がいいんんか?)が、今回のテーマは「女性の扱い」についてである。

小中学校では先生も生徒も平気で「女の腐ったの」という言葉を使っていた。これの用法としては、「泣く」「告げ口をする」「弱音を吐く」「諦めが早い」といった状況の時に「ケッ、お前は女の腐ったのみたいなヤツだな」となる。

今でも時々使う人はいるだろうが、当時はこれが大っぴらに使われていたし、先生が男子生徒を叱責する際に普通に使われていた。明らかに「女とは泣くもの」「女は陰湿」「女は根性がない」という大前提(というか偏見)をもったうえで、その偏見を基にした「女像」に似た男のことを「女の腐ったの」と呼ぶのである。

あと、最近は聞かれなかったが「女々しい」という言葉も頻繁に聞かれていた。「女の腐ったの」と同様の用法ではあるが、最近は使われないだろう。ゴールデンボンバーの『女々しくて』は2012年の曲だが、もしも今リリースされたらツイッターで炎上していたかもしれない。ここ数年の変化は相当なものがある。また、ゴールデンボンバー自体が、自虐的な芸風で知られているだけに、受け入れられたのかもしれない。

だが、たとえばスポーツニュースに、敗北の結果涙を流す男子選手が登場したとしよう。その場合に高齢の男性コメンテーター風の人が「男が泣くってのは女々しいからおやめなさい」などと言ったら恐らくネットは炎上するだろう。ジェンダーの観点を絡めるともはや炎上する時代のため、今は男子選手が泣いた場合は「悔しいのは分かるけど、泣いても強くなるわけではないので泣くのはおやめなさい」ぐらいのコメントが相応しいかもしれない。

それにしても「女の腐ったの」はすさまじい言葉である。女性を一段下に見た上で、泣く男はそれが「腐った」状態だというのだ。いやはや、こんな言葉が今や公の場では死語になったのは良いことである。